スマトラ沖大地震・大津波

昨年末、インドネシア・スマトラ北西沖で発生した地震に伴うインド洋大津波で亡くなられた多くの人々の冥福を心よりお祈り申し上げます。

私は、今から10年程度前の1995年から1996年の約2年に渡り、インドネシア最大の流通顧客 "マタハリ" 向けに富士通のPOSシステム導入やサービス展開支援のため、同国と日本の間を頻繁に行き来していたことがある。長期出張時は4ヶ月、中短期を合わせ通算6ヶ月程度、滞在していたことになるだろうか。

スマトラ島南東部にある Jambi (ジャンビ)と呼ばれる街へ何日か業務で滞在していた。Jakarta から一寸危なっかしいロシア製の双発ジェット機に乗りこの Jambi に到着した飛行場は、まさにジャングルの中に位置し、辺りには椰子やバナナ等の自然植物が鬱蒼と生い茂っていた。何やら今まで見たことも無い薄チョコレート色と透けた白い色の羽を持った、日本のアゲハチョウの優に倍以上はあるような蝶がフワフワと舞っていたのを覚えている。

現地人の相棒と一緒に飛行場からタクシーに乗り街へ向かった。少ーし家並みが見えてきたらそこはもう殆んど街の中心部であった。この街の人々が、このようなジャングル島にある街にもデパートが開店するという話を聞きつけ、開店当日は近代的なデパートの建物と相まって、エスカレータを生まれて初めて見るという人々でデパート内は大騒ぎとなった。恐る恐る動く階段に、一寸、爪先を載せては皆んなで大はしゃぎをし、もう買い物はそっちのけで大変な賑わいを見せていたのが微笑ましい思い出として残っている。

"オランウータン" とはインドネシア語で "森の人" という意味である。"オラン" は人、"ウータン" は森である。太平洋戦争の時代、インドネシアのジャングルで生活していた日本兵達は、次のような語呂合わせでインドネシア語を覚えたとか。。。
人は "オラン"(居ない)、飯は "ナシ"(無し)、魚は "イカン"(いけない)、菓子は "クエ"(食え)。。。

こんな訳で、インドネシアは私の第三番目の海外の故郷で友人も多くおり、今回の惨劇では大変心が痛んでいる。

ここ、スペインでも国、社会、そしてFESAでも被害者への支援の輪が広がっている。
   アマポーラの道標 

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