- テリーの独り言 平成31年4月30日 (火曜日) レベル 6
- 今日で平成の時代が幕を閉じるそうなので、差し当たり独り言を残して置く。
思い起こせば、平成という時代の訪れは昭和天皇が崩御された時だった。米国に居た頃で盛んにニュースで流れていたのを思い出す。
このときは崩御に伴う新元号の訪れだったので、非常に控えめな時代の幕開けだった。唯一、小渕さんの「平成」発表の姿が明るいイメージとして残っている。
それに反して、と言うか明日からの「令和」の訪れは歓迎ムード一色で、どことなくお祭り気分も混じっている。何やら新年を迎える時に似た空気が漂っている。今夜は「元号越し蕎麦」でも食うか…商店街通りの街灯にも「奉祝 令和」なんてぇ垂幕が日の丸の旗と一緒になびいている。やっぱお祭りのようである。残すところ後5時間弱で令和時代がやって来る。
昭和は64年まで続いたことを思うと、昭和天皇は命も時代も長寿だったんだね。尤も、大正天皇が15年と短かった所為もあるが…私は、ざっくり昭和を36年、平成は31年生き延びたことになる。昭和 → 平成 → 令和 と三元号の時代を生き抜くことになる訳だが、両親も三元号の時代を生きていたから別に珍しいことではない。次女は昭和63年生まれだから、ひょっとしたら四元号の時代を生きるかもしれない… - テリーの独り言 4月25日 (木曜日) レベル 6
- シニア劇団 波瀾ばんばん座の次回舞台は、9月29日 (日)・30日 (月) 本八幡にわにわで公演する予定です。にわにわでのミニ公演は3回目で、約2年振りとなります。
公演では複数の演目を予定していますが、その一つとして芥川龍之介作の「三つの宝」という作品があります。オイラはこのお話、全く存じておりませんが巷ではどうなのでしょう?。この作家が書くお話は何やら難しい…という先入観がありますが、いざ読んでみたら凡人の私には子供向けの童話擬きにしか思えない。(これから話が少し長くなります…)
…てな背景からかどうかは定かでありませんが、劇団主宰兼演出家がこのお話の中に「金子 みすゞ」作の「月と泥棒」という詩(童謡)を追記しました。それだけならまだしも、この詩に曲を付けてくれないか、と、この私めに要請してきたのです。うんにゃ?
… 「金子 みすゞ」さんといえば、東日本大震災の頃にテレビ (ACジャパン) でよく流れていたあの詩「こだまでしょうか」を書いた詩人ではないか。よくは知らないが、テリーごとき凡人が曲を付けるなんて…と思い先ずは巷のネットで詳しく人暦を調べてみた。
ととと…とんでもない詩人であった。数日後、その足で直ぐ図書館へ行って書籍を貪り、挙句は全部の詩を読みたいと想い、八重洲丸善に出向いて童話集三冊 (JULA 出版局) を手に入れた。各詩には、判りやすい説明文が付記されており「詩」をゆっくり読んでいると「音」や「絵」のイメージがしんみりと響いて来る。
第一童話集・美しい町 第二童話集・空のかあさま 第三童話集・さみしい王女
物産館入口の頭上から「私と小鳥と鈴と」の大きな詩がど~んと眼に入ってきた。なんとなく拝みたくなった…は少しばかし大袈裟か。
中に入って何か「金子 みすゞ」に関する物品は並べられていないかなぁ…と物色してみたが、執筆した書籍類は置かれていなかった。
帰りの電車の中で、機会を見つけて生地である山口県長門市 (先崎) を訪問しようかな…などと夢想しているうちに、要請のあった「月と泥棒」の詩に歌を付けても失礼にはなるまい、と思えてきた。
- テリーの独り言 4月22日 (月曜日) レベル 6
- この日「平成」最後の波瀾ばんばん座の稽古がめでたくお開きとなり、近場の酒屋に有志が集まり、これまた平成最後の打ち上げを居酒屋「大金星」でぶち上げました。
ちなみに、この画像には、劇団創立当時からの団員4名 (テリーもその内の一人です) が写っていますが、その当時よりもお若く?見えるところが凄い!
想い起こせば7年前、主宰者の呼びかけに呼応した市川市内外の男女有志11名 (劇団員) が本八幡ふれあい館に集まり、華々しく「シニア劇団 波瀾ばんばん座」が船出しました。そして今日現在、千葉県を代表する劇団員29名を擁する大きなシニア劇団に成長し続けています。
平成24年に結成された波瀾ばんばん座は、今月6日で目出度く創立8年目を迎えました。我ながらよく続いているものだと感心しています。 そして、5月からは新時代の幕開けとなる「令和」時代がやって来ます。波瀾ばんばん座も心機一転、平均年齢68,8歳(平成30年12月現在)をものともせず、巷にミラクル演劇パワーを撒き散らし続けていく所存です。
「令和」の幕開けまで残すところ8日となりました。新しい時代が皆様にとりまして幸多き時代になりますようお祈りします。
- テリーの独り言 4月6日 (土曜日) レベル 6
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千葉の栄町にある「なんちゃって Bar 庭」ってぇ~ライブハウスで、今年初めてのライブをぶちかましてきました。
このライブハウス、比較的大きな道路に面して入り口を構えているんだけど、じぇんじぇん目立たない。こんなところにライブハウスがあるんだ…よぅ~く入り口前に置かれている看板を見ないと、なんだか、ただの倉庫入口だと思ってしまう。
この日のライブイベントは、友人のベーシストが目出度く還暦を迎えたので、その祝賀パーティを兼ねてのライブでありました。
なので、そのベーシストが所属するもう一つ別のバンドが参列していました。本番前に、このバンドのリハを聞かせてもらったんだけど、上手いのなんのって…思わず我々ごときへぼバンドが同じステージに上がらせて頂き誠に有難うございます、と頭を下げたくなるようなセミプロバンドでありました。
この先、6月は原宿 ラ・ドンナ、7月は千葉 ANGAでライブを控えています。お時間の或る方は是非、ご来場ください、お待ちしております。
- テリーの独り言 4月2日 (火曜日) レベル 6
- 3月いっぱいでお払い箱となった会社にご挨拶を済ませ、お昼頃に浅草へ花見を兼ねて散歩をして来た。この日は、4月には珍しく関東の上空はマイナス35度という寒気で覆われていた。そんな寒さにもめげず浅草界隈の桜は、ほぼ満開状態で大きな青空が拡がっていた。
週末とかだと、ドンちゃん騒ぎをしている輩たちの凄まじい光景が見られるんだろうが、このときはウイークデイのお昼時とあって、そんな光景にはお眼にかかれなかった。
それにしても外国人が多すぎるね。ざっと半分近くは外国人だ。TVで外国人の花見マナーのことが取り沙汰されていたけど、別に悪くはなく普通だった。それにしても、日本語がぜんぜん聞こえてこない。意外なのはスペイン語が飛び交っているのが妙に気になった。来年のオリ・パラ開催期間中はきっと、外国人に占領されちまってるよ…
独身の二十歳代のころ、この花見季節には上野公園か浅草へ毎年通っていたものだ。場所取りなんて面倒臭せぇことはしなかった。当時、事務所は浜松町にあったが、仕事を終えると直ぐに仲間と一緒に花見場所へ一目散に移動した。適当に空いている場所を見つけて騒いだもんだ。上野公園の暗闇辺りには、怪しげなオバサン連中がたむろしていたのを憶えている。何だか訳わからんけど、そのオバサンたちと知らないうちに打ち溶け合って、一緒に歌を唄ったりバカ踊りなんかをしたもんだ。
先月、落語家・三遊亭円朝の作品で落語小噺「文七元結」の舞台を観劇してきたので、その舞台裏である現場を散策してきた。文七が飛び込み自殺をしようとする「吾妻橋」から、スリに金子を掏られたと思い込んでいた現場の小柄な「枕橋」を渡り、そこからちょいと北に掛かっている「言問橋」あたりを眺めてきた。江戸時代の隅田川は現代よりずっと小規模だったとは思うが、この浅草界隈は江戸情緒を醸し出しているとても粋な場所だね。
歩数は1万歩に多少及ばなかった。先日の「波瀾ばんばん座」仲間との花見に参加できなかったが、この日の一人散歩でそれなりに花見を楽しむことができた。今年も花見が出来て良かった良かった!