Don Quijote de La Mancha Photos
El Toboso 村 - 写真1

El Toboso 村 - 写真2


"Calle Don Quijote"とは "ドン・キホーテ通り"
という意味である。

"ドン" は男子の個人名に付けられる敬称で、
非常に高貴な方に対して使われる。

一般的には、セニョールであるがドンはそれ
よりも高位で ドン・セニョール "タカハシ"
などと呼ぶと、それはもう大変敬意を表し尊敬
した呼称となる。尤も、私のような貧民に対し
てそんな風に呼ぶと、却って侮辱した呼び方に
なるかも。

ちなみに女性に対してはドーニャと付けられ、
そして独身の場合はセニョリータ、既婚の場合
はセニョーラとなる。

右は1928年 (昭和3年)、新潮社出版の日本語版書物に、
当時の日本国大使館領事が署名し西国へ寄贈した、大変
貴重な和訳ドン・キホーテである。

日本語を含め、100を超える世界各国語で翻訳された
書物がセルバンテス博物館に収められている。同時代の
独国ヒットラーや、伊国ムッソリーニが署名したものも
展示されている。

セルバンテス博物館は、ドン・キホーテが創造する世界
に現れる麗しの姫、ドウルシネーアが住む "El Toboso"
という村にあり、唯一この村名が物語の中で実在するも
のであろう。


エル・トボーソと名付けられた村。。。

真っ青な空に、人っ子一人居ない昼時。。。
なんとものどかな村ではないか。。。。。。。

Iglesia Parroquial de San Antonio Abad
(サン・アントニオ・アバッド教会)

物語の中で、真夜中過ぎにトボソ村に着いたドン・キホ
ーテは、『サンチョよ、ドウルシネーア姫の宮殿まで案
内しろ。姫は未だ起きているかもしれぬ。』と言いなが
ら村に入り、最初に目に入った建物がこの教会だ。

この教会は16世紀末のルネサンス様式の正面玄関を持つ
後期ゴシック様式の建物である。


写真の左下部には、ドウルシネーア姫を前にドン・キホ
ーテが膝まづいている二人のモニュメントがある。
Casa de Dulcinea
(ドウルシネーアの館)

この建物は古くから『トレシージャの館』、という名で
知られ、アナ・マルティネス・サルコ・デ・モラーレス
と名乗る婦人が所有していたものである。

ところが、セルバンテスが物語の中でこの館のアナさん
をもじり、ドウルシネーア
(Dulce Ana = Sweet Ana:
しいアナの意味) という名の姫を登場させたことにより
その名は永遠に残ることとなった、そうな。

って、どこまで本当でしょうか・・・

なんせ、物語そのものは空想に耽って駆け巡るとんでも
ない騎士が主人公だ。そのうえ作者のセルバンテス自身
だって実際に牢獄を出たり入ったり、流浪の生活を続け
ており、その点からは作者自身がドン・キホーテに化身
してしまったのかもしれない、ネ。
(あとがき)

私はこの物語の価値が未だによく判りません。もしかしたら、本当はとんでもない愚作だったりして。裸の王様じゃないけど、昔の誰か偉い人が愛嬌で当時の世に対してこの物語を "べた褒め" したんで、世間はなんだか良く判らないままその人の顔を立てるため褒めざるを得なくなり、それが後世に伝わってしまった。。。ってなこと考えられません?

今の社会にも酷似した場面をウンザリするほど見るけど、もしかしたらそんな具合で持ち上げられた物語だったりして! もしそうだったとしたら、人々にそのように思わせてしまう創作力とこの物語が400年もの間、恐らくこの先も見事に人々を欺き続けていく、という点に賞賛の価値がありそうだネ!


El Toboso 村 - 写真1

El Toboso
村 - 写真2




























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